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租税の歴史「日本の租税史1」

第2回で、簡単に我が国の税制史を紹介しました、簡単におさらいすると

その歴史は古く、邪馬台国にまでもさかのぼり、今から1300年以上の昔(古代)、すでに「税」、「役」、「調」のような形で租税が存在していました。
その後、全国一元的な税制は、(西暦645年の)大化の改新に始まり、8世紀初め、中国の制度にならっての大宝律令によって「租・庸・調」の制度が定められ完成しました。
その後の主なものは、戦国時代・豊臣秀吉の太閤検地による全国規模の統一税制。明治時代に入り、地租改正による近代的な税制がはじまりました。
このように千数百年の歴史を経て、第2次世界大戦後の昭和24年(1949)、信頼関係を基盤にした申告納税制度を経て現在に至っています。

以上が第2回の概要です。

日本の租税の歴史

租税が今のような姿になるまで、邪馬台国の女王卑弥呼の時代から現代まで1800年近い時の流れを必要とし、税は様々な形で人々の生活に深くかかわってきたのです。一緒に「租税の歴史」の世界を旅をしてみましょう。

弥生時代(紀元前3世紀ころ~紀元後300年ころ)-税の誕生-

3世紀のはじめ、邪馬台国という国があり、卑弥呼という女王が国を治めていたことが中国の三国志という書物の中の「魏志」倭人伝に書かれています。
この書物の中に「祖賦を収む」とあり、税(食糧など)を集めて、収めていたことが記されています。

※魏志 … 3世紀に書かれた中国の歴史の本で、日本の税の最古の記録がある。
※倭人 … 日本人のこと
※邪馬台国 … 女王、卑弥呼が支配する国で30ほどの国々をしたがえていた。

飛鳥時代(300年ころ~700年ころ) -税制の確立-

それまで皇族や豪族が支配していた土地や人民を、国家が支配しました。(公地公民)
このように、天皇制の権威と組織が全国的に確立したのは、大化の改新(645年)ですが、日本に統一的な税制が初めて確立したのは701年の大宝律令の制定からだといわれています。
「大化の改新(645年)」では、新しい税の制度を含む政治の方向が示され、税金が社会制度のなかに初めて組み込まれました。その後の、大宝律令では、班田収授の法により、人民には田を与える(口分田)代わりに、租・庸・調という税のほか、雑徭という労役が課され、税制の仕組みが出来ました。
しかし、農民が税制のキツさに逃げて消え去ってしまったそうで、このシステムもやがて廃止されます。

※1 租 … 収穫した稲を納めた税(男女の農民に口分田の収穫の3%を課税)-「祖」は稲の物納
※2 庸 … 都に出て1年間に10日間働くか、または代わりに布で納めた税- 「庸」は勤労奉仕
※3 調 … 地方の特産物や海産物を都まで運んで納めた税- 「調」は地方の特産物の上納のこと
※4 雑徭(ぞうよう) … 1年間に60日土木工事につくなどし、働くことで納めた税
※5 班田収授の法 … 6歳以上の男女に口分田が与えられ、死んだときに国に返すこと
※6 大宝律令 … 律とは現在の刑法、令とは現在の民法や行政法などである

奈良時代(710年ころ~784年) -税制の立て直し-

奈良時代になると、税が都に集められて、壮大な平城京が建築され、都を中心に華やかな文化が栄えますが、奈良時代の中期になると、重い税の負担に耐えかねた農民が、口分田を捨てて逃亡する者も現れ、しだいに荒れた田畑が増加していきました。(このころの税は飛鳥時代と同じ租・庸・調・雑徭でした。)
そこで朝廷は、新しく農地を開いたものに永久的に土地の私有をみとめる墾田永年私財法(743年)を制定して、税制の立て直しを図ろうとしました。
しかし、貴族や寺社は、地方豪族と結んで田畑の大規模な墾田の開発を行って土地の私有化を進め、荘園を発生させる結果となりました。

平安時代(784~1190年) -荘園の発達と年貢、労役-

11世紀になると、大きな寺社や貴族の領有地である荘園が各地にでき(公地公民の制度が崩れはじめる)、農民は荘園領主に年貢、公事、夫役などの税を納めるようになりました。
こうした荘園の経営に支えられて、都では国風の文化が栄え、華麗なる平安絵巻が繰り広げられました。こうして、平安時代は貴族が大きな力を持つようになっていきます。また、地方の豪族も武装し、これがやがて武士団となって、鎌倉時代を迎えることになります。

※公事は、糸・布・炭・野菜などの手工業製品や特産品を納めること。また、夫役は労働で納める税のこと。

鎌倉時代(1190~1332年) -経済の発展と座役-

鎌倉時代は、守護や地頭、荘園領主などの保護の下で、経済が発達した時代で、農民には、年貢のほかに公事と夫役が課せられました。
また、人々が集まる場所には市場が生まれ、それから、商工業者が集まって『座』ができ生産や販売を独占する代りに『座役』という税を、製品や貨幣で荘園領主に納めました。荘園は、その後鎌倉幕府の守護地頭制によって次第に武家に課税権を侵略され、南北朝の動乱以後急速に衰退に向かい、豊臣政権の成立で消滅します。

※守護・地頭は源頼朝が勅許を得て各地の荘園・公領においた職で、権力拡張の結果次第に領主化するようになりました。特に地頭は荘園や公領において毎年一定の年貢の進納を請け負い、自らその地の実質的支配権も握るようになって「泣く子と地頭には勝てぬ」という語源にもなったようにその横暴さは目に余るほどでした。

室町時代(1338~1441年) -新税の誕生-

このころは、産業の著しい進歩とともに、新しい税が誕生した時代でもありました。
税の中心は、あいかわらず年貢でしたが、商業活動の発達により、商工業者に対しても課税されていきました。幕府は、酒屋・土倉(高利貸)や質屋を保護するかわりに、税をとりたてて財源にし、また、街道に設けられた関所では、関銭などが通行税として課せられました。

※1棟別銭 … 家屋の棟数別に課税された。
※2土倉役・酒屋役 … 当時、最大の商人であり、高利貸を行っていた質屋(土倉)と酒屋の営業に課税された。

コラム
この原稿を書いている途中で、「弥生時代の始まり500年さかのぼる」という記事がでてきました。
今回、国立歴史民族博物館は、現在最も信頼性の高い年代測定法で、九州北部の最古級の水田遺構から出土した土器の年代を測定した。縄文から弥生時代への移行を決める主な指標は稲作、弥生式土器。この土器の年代が稲作の本格化、弥生時代の始まりと考えられる。「紀元前800年ころ」と具体的な数字が出たことで、日本史の見直しが始まりそうだ。(日本経済新聞社03/5/20記事より)
専門的なことは解りませんが、時は、中国では殷(いん)から西商へと王朝が交替する激動期、朝鮮半島では稲作が本格化した(BC1000年前後)時期で、これから東アジアの古代史が変わるかもしれませんね・・・・

以上、弥生時代から室町時代までの租税の歴史を簡単に振り替えって見ました、いかがでしたか…
次回は戦国時代の安土桃山時代から現在までの予定です、ではまた。

H15.6.5

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